切ないってこういうことかな。森鴎外『舞姫』の真相

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蝶が羽を動かすと、空気中の微粒子を動かし、

それがほかの微粒子を動かし、さらに多くの微粒子を動かす。
そうしているうちに、やがて地球の反対側で竜巻を発生させる……

バタフライ効果と呼ばれるこの現象。これをテーマにした映画を先日見た。
主人公はいわゆるタイムトラベラー。

望みはたった1つ
「幼なじみの女の子と一緒に幸せになりたい」ってだけ。

何度も過去に戻って1部をやり直す。
現在に戻るとその1部の変化で,現在が大きく変化している。
まさにバタフライエフェクト

でもなかなか上手く行かない。

たくさんの苦労を経て,結局最後は,彼女と出会った瞬間に戻り
彼女にひどいことを言ってそれっきりの関係になる。

自分と彼女との良い思い出は,違う未来を選択したときだけのもの。
自分の記憶の中だけにある。彼女は知らない。

それぞれ別の道で幸せに暮らす現在を選択する。

ラストシーンは,
偶然大人になった2人が,街中で出会うシーン。

すれ違ってお互い振り返るのだけど,
また自分の道を進んで行く。

綺麗だけど鬱な有名なアニメのラストに似てる。

実は,この映画には,これぞハッピーエンドなラストも撮影されていた。
観客みんなが望んでいたであろうラスト。
でも監督は,それじゃダメなんだと解説してた。
あんなに苦労していたのに,主人公は何も学んでいないことになる。
話の整合性がないって。


好きだからこそ手放す。
そんな愛情って
いつの時代にもあるらしい。


空色の繻子に,金糸の刺繍が入ったハンカチ入れ。
森鴎外は,死ぬまでこのハンカチ入れを
大事に大事にしていたらしい。

森鴎外の経験がモデルだとされている『舞姫』。
主人公は,留学先のドイツで,
スラム街に住む仕立物師の娘である若い女の子,
エリス・ワイゲルトを恋人にし,
その恋人のお腹には赤ちゃんもいたのに,
別れを告げ,彼女を発狂させ,
自分1人だけ日本に帰る物語。

なんて最低な男だという印象を持っている人も多い。

ただ,この物語がそのまま現実に忠実なら,
先ほどのハンカチ入れに謎が残る。

ハンカチ入れに使われた良質の材料,金糸を使った高度な技術。
良家の子女を思わせるものなのだ。

森鴎外がドイツで愛したのは,本当は誰だったのか。
そんな研究が行われているらしく,
その特集を見て驚いた。

それはモノグラムというものを中心に語られていた。

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森鴎外の遺品として,残っているモノグラム。
森鴎外の本名である森林太郎のイニシャルをデザインしたものが,
薄い金属にいくつも彫られたものである。

モノグラムは,刺繍をするときに,型として使われる。
いくつもあるデザインをみると,
豊穣を願うサクランボがテーマだったり,
幸せが周りにも行き渡るようにという意味で,
文字の周りに下向きの馬蹄を描いたものだったりと,
どれもセンスの良さを感じさせるものばかり。

当時のドイツでは,婚約をすると,
男女の名前を入れたモノグラムを作ったと言われている。
森鴎外の持っていたモノグラムにも,
ひっそりと隠し文字としてそれは彫られていた。

森林太郎のM・R

そして A B L W

森鴎外の話で有名なのは,ドイツから彼を追いかけてきた女を追い返したという話。
当時の乗船記録を見ると,
確かにエリーゼ・ヴィーゲルトという女性が見つかる。
Elise Wiegert
Wはモノグラムにあるが,Eはない。
ただ,乗船記録に,一等船室の客として記されており,
彼女が多くのお金を持っていたことが推測される。

ヴィーゲルトという名を手がかりに,1888年のベルリンの住所録を調べると,
アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトという女性が見つかる。

Anna Bertha Louise Wiegert

モノグラムにぴったり一致する。
彼女は,仕立物師の娘。
家族は,部屋を貸して収入を得ており,十分にお金がある。
当時ドイツから日本への船は,40日間かかり,
森鴎外の留学費の半額ほどの値段がした。
しかし,彼女の家の収入で換算すると,
ほんの2ヶ月分ほどだったと推測されている。

アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトは,
十分に日本へ森鴎外を追って来れたことになる。

当時の日本とドイツの船の規定を調べると,
ドイツからの渡航は,チケットさえ持っていれば,
パスポートを持っていなくても,たとえそれが未成年の女の子1人でも,
相手国がパスポートの提示を要求しない限り,船に乗ることができた。

日本は,パスポートの提示は要求せず,乗客の名前のリストのみを要求し,
たとえそれが偽名でも良かったとされている。
エリーゼ・ヴィーゲルトとアンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトが,
同一人物だったと推測できる条件がそろった。


アンナについてスポットを当てる。
アンナの年齢を考えると,林太郎と恋に落ちたのは,彼女が15歳のときである。

アンナの両親は,父がベルリンに住むカトリック信者,
母がマグネブルクに住むプロテスタント信者。

土地を乗り越え,宗教を乗り越え,結婚した2人。
きっとアンナと林太郎の結婚にも,賛成したのだろう。

モノグラムは隠し文字だけが,手彫りであった。
当時こんなに凝ったものは珍しく,
2人の婚約を記念して,アンナの父が彫ったのかもしれない。

遠い遠い国へ娘を見送る。
この父親だったからこそできたことである。


陸軍士官の国際結婚は認められず,破ったものは罷免となる。
当時の決まりだった。
しかし林太郎は決意していた。
「恋人を来日させる。罷免されても構わない。」
上司にそう断言している。


数日遅れでアンナが日本に着くよう手配し,
先に日本に着いた自分は,
家族にも恋人を連れてくると告げていた。
家族を説得し,陸軍省を説得し,
アンナと結婚するのだと固く決心していた。
説得の間,アンナは築地のホテルに住ませていた。


しかし,説得に時間がかかり,借財は大きくなる一方。
説得されつつあった母は心労で痩せて行った。
母を取るか,恋人を取るかをせまられ,
結局1ヶ月後,アンナは林太郎に見送られながらドイツへ帰って行った。


追い返したなんてとんでもない。
きっと,ずっと見送っていただろう。
アンナも,あの森鴎外が愛した女性。
きっとその思いを理解して,帰って行ったのだと思う。


その4ヶ月後,森鴎外は結婚した。
父を亡くして,1人,家族を支えるために,良家の娘と結婚して…
という責任が彼にはあったようだ。

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その後『舞姫を発表。
現実の物語とは全く違う。
アンナには何も危害がいかないように
全く異なる女性を描いたのだろう。

林太郎は死ぬまでアンナと文通を続けていたらしい。
全部保管していた手紙を,死ぬ間際,自分の目の前で燃やさせたそうだ。

全て相手を思ってのこと。

舞姫が発表されて120年。

私たちは,ずっと林太郎に,嘘を握らされていたのだ。

林太郎はアンナを守り通した。

実はハンカチ入れとモノグラム以外にも,
その証拠を示しているものがある。

森鴎外は,
娘に「杏奴:アンヌ」
息子に「類:ルイ」
と名付けているのだ。

アンナ ルイーゼ…。


アンナはというと,
ドイツで結婚し,子どもを持ち,孫を持ち,
幸せに暮らしたらしい。

そしてアンナは子どもに
「リズベット」と名付けたそうだ。

リズベットはエリザベットの愛称。
エリザベットの愛称には,エリーゼもある。

おそらくエリーゼは,
林太郎との間だけでの呼び名だったのだと考えられている。

思い出の名を子どもに付ける。
アンナの思いは林太郎と同じだったのかもしれない。



トリスタンとイゾルデをご存知?
ロミオとジュリエットの原作であるとも言われているお話。
禁断の愛のお話。

トリスタンは愛するイゾルデと離ればなれになるのだけど,
晩年の死に際に,船に乗ってイゾルデがやってくるのを
ずっとずっと待つの。

最後本当にイゾルデは,船に乗ってやってくるのだけど,
そのときにはトリスタンはもう死んでしまっている。
そんなドイツのオペラ。


森鴎外は晩年よく
このトリスタンとイゾルデの一部を歌っていたんだって。

船に乗って彼女は会いに来てくれないだろうか。

死ぬ間際,来るはずのないアンナが,
遠いドイツから船に乗って,来てくれることを
いつまでもいつまでも待っていたんだろうね。

きっとこれが舞姫の真相。
120年よく秘密を守ったものだよ。
好きだからこそ手放す愛情。
森鴎外もそうでしょ?

なかなか蛇足になるけど
ついでに。

歌姫ってドラマがあるらしい。

記憶喪失の男と,それを見つけた少女のお話。

10年ほどの時を経て,2人は愛し合い,
男がプロポーズを決意していたとき,
あることがきっかけで,記憶が戻ってしまう。

自分には妻子があり,両方は選べない。

男は本当は全てを覚えているのに,少女のことを思って,
少女と過ごした日々の記憶だけなくした風を装って,去ってしまう。


その後,ハッピーエンドは,2人のそれぞれの子と孫に託される。
ってお話なんだけど,
『歌姫』って題名が,すぐには納得できない。

歌に関係することは,ちょいちょいあるらしいけど,
納得できない。


ただこの物語が,舞姫本歌取りとしていると考えると,納得いく気がする。
舞姫の真相の本質がある。


何もかも,手に入れるだけが愛情じゃない。
そんなことを学んだ物語たち。
切ない物語に,人がきゅんとなるのは,
この愛情に触れるからなんじゃないかな。